作詞者 上村 喜六 作曲者 工藤 富次郎
T 麗しきかな 桜のもとに U 常磐の松の 色濃緑に 弛まぬ心 窮まり知れず はぐくむ心 学びの我等 文化の恵 夕べに朝に 教えの庭の 恵みも広く 誠の光 いや輝きぬ 理想の光 ああ輝きぬ
校章の三つの北の文字の図案は、永遠に変わらない北極星をあらわし、三つのペンの図案は、たゆむことなく落ち着いて勉学にいそしむことをあらわし、中心の環は「標津」を象徴している。
校訓 「役に立つ子供になる」
校訓の制定日は不詳であるが、沿革誌の明治45年5月18日に「本日道議会議員小池仁郎氏来校、校訓トシテ掲ゲタル、役ニ立ツトイウコトニツキ 場ノ演説アリ」(原文)とあり。このことからすれば、明治43年5月18日以前に制定されたものと推定される。 もともと校訓は「子供らよ役に立て」という大人の願いで、子供たちにとっては受動的表現であったが、昭和31年4月第11代校長・渡辺洸男氏の発意により、当時の教職員による議論の結果、子供の能動的な立場に立った表現に改訂して現在に至っている。 尚、第22回卒業生板垣徳治氏によれば、板垣氏の友人加須屋儀三の義兄で明治31年より明治34年まで本校職員であった間宮弟四郎の筆跡によるとされる扁額が掲げられていたという。