昨日、報道されたある県の教師の「体罰事件」を受け、子どもを教育する立場にある私たちは、これを教訓として次のことを確認をしました。
私たちの仕事は、子どもの成長、幸せのために、教育活動をしているものです。
そのために必要なことは、
・子どもの成長を真摯に願う心 ・子どもを信じぬく心 ・子どもを励まし続ける心 ・子どもを支え続ける
・子どもを守り続ける心
・子どもの可能性を引き出す創造性のある授業の計画と実践、そして、改善
これらがある教師は、現実のさまざまな課題に苦しみ、そして、悩みながらも、充実感というものが必然的に備わってくるものです。
そして、この日々の営みが、自分自身の人間性の向上、教師力の向上につながり、年数を得るごとに、それらの力が倍加していきます。
しかし、子どもに対して、体罰や暴言、もしくは、子どもを蔑視するような教員に共通している言動というものは、
「子どもへの願い」ではなく、「自分の欲求の解消」「不平・不満」「愚痴や文句」
「創造的授業」ではなく、「惰性の授業」となります。
要するに、指導力がないため、教師の権威や、暴力で、子どもを従わせようとしてしまいます。
また、もう一つ共通しているのは、「普段おもしろいことを言って、子どもたちをよく笑わせる」といった、一見、子どもたちとの関係が良いようにみせている点です。
これは、指導力ではなく、単なる話術です。
私たち教師には、自己教育力が必要です。
成長する教師は、日々自分の授業や言動を振り返り、反省し、そして改善しています。
今回の報道を受け、私たちは対岸の火事ではなく、これらを教訓に、子どもたちの成長のためにまずは、教師である自分自身が自らを磨き、そして、高めていくことが大変に大事なことです。
今日も一日、子どもたちの成長のために、よろしくお願いします。
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