8月22日の全校朝会は、校長先生が会議で不在のため、教頭の私が、全校児童にお話をしました。
まずは、挨拶です。児童会の役員さんが行ってくれました。
さて、全校児童へのお話です。
内容は、「ぼくたちはなぜ、学校にいくのか」というタイトル図書を抜粋したものです。二階の図書室にある本から抜粋しました。
1年生もいるので、パワーポイントで、言葉や画像をモニターに写して行いました。
写っている人は、マララさんといいます。マララさんは、 銃で撃たれました。 しかも頭を。
☆子どもたちから、「エー!!」 という驚きの声が上がりました!
犯人は武装グループの大人たち。マララさんは、意識不明の重体となりました。15歳の時です。
さて、「まららさんはどうして銃で撃たれたのでしょうか?」
□マララさんが国連で演説した内容
ここには、「学校に行かなければならない」理由があります。
わたしは、声をあげます。自分のためではなく、声なき声のために・・・。苦しんでいる人のために
武装グループは私の考えを変えさせようとしました。けれど、私の中に変わったものは何一つありません。
次のものをのぞいては・・・。 それは、弱さ、恐怖、絶望が、死にかわりに、
強さ、力、そして、勇気が生まれたのです。
☆この言葉に多くの子どもたちが、目を見張っていました。
世界のみなさん。
☆「うん」とうなずいてる子、「えっ」という顔をしている子、様々な表情の変化がありました。
わたしたちは、「暗闇の中にとじこめられなければ光の大切さには気づかない、」ということがあります。
同じように、わたしは、言葉をうばわれそうになって、はじめて、そのことばのたいせつさがわかりました。
わたしのふるさとパキスタンのスワートという町は武装グループに支配されています。かれらは、自分たちのりえきのために女の子が学校へ行くことを禁止しています。そして、「学校へ行きたい」と言ったわたしはかれらによって、銃で頭を撃たれました。
世界には、わたしだけでなくおとなによって苦しめられているこどもがたくさんいます。
インドという国ではおおぜいのまずしい子どもたちが学校へいかせてもらえず小さいときから働かされています。アフリカのナイジェリアという国では武装グループが「教育はこどもに必要ない」と言って多くの学校をこわし、先生や生徒を殺しています。アフガニスタンという国では、女の子は、おさない年齢で結婚させられ、学校へ行くかわりに家事をさせられています。
☆この現実に、子どもたちは「うそでしょう」「ありえない」「本当?」という表情を見せていました。
パキスタンの武装グループはなぜ、わたしを撃ったのでしょう。それは、「学校へ行きたい」というわたしを黙らせるためです。そうすれば、自分たちの思うままになると考えたのです。
しかし、それは成功しませんでした。私を撃ったことで、世界中の人々がひなんの声をあげました。学校へいきたいという私の夢もなくなりませんでした。
むしろ、力や勇気が生まれました。
そして、声をあげる大切さにあらためて気づかされたのです。武装グループの暴力は、何一つ成功しませんでした。
☆結局、自分のために人をコントロールすることなどできないということです。
いじめとか、気にくわない子を皆で何かしようとしても、いいことなどおきないということです。
それは、ほかの国も同じです。世界にはまだ多くの不平等があります。たくさんの子どもが、貧困、差別、不正、無学などに苦しんでいます。
だからこそ、一人ひとりがたちあがり、声を出していかなければなりません。声を出して、世の中を変えていくべきなのです。
そのために必要なのは、まず、学校と教育です。
☆いよいよ本題です。子どもたちは、自分事としてとらえているようです。真剣な顔です。
わたしたちは、言葉によって、自分の気持ちを表せるようにしなければなりません。
一人のこども。 一人の教師。 一冊の本。 一本のペン。
☆有名な言葉です
それさえあれば、私たちは言葉を使うことができるようになり声をあげて、世界をよりよいものにしていくことができるのです。
教育が世界を変えるための解決策です。明るく平和な未来。私たちはそれを自分の言葉で創り出していかなければならないのです
武装グループは、私たちの言葉を恐れています。わたしはだまりません。私たちは、自分の言葉の力を、強さを信じましょう。
私たちの言葉は世界を変えられるのです。
最後に、明るく平和な未来を作るために、次の二つをがんばりましょうと言いました。
一つは、挨拶をすることです。挨拶は、自分の心を開くものです。そのがんばりがマララさんのように強い心を作ります。
二つは、人の意見や考えなどを、決して笑わないで、まずはしっかり受け止めましょうということです。
「相手の言葉をしっかり聞く」ということは、相手の人格を尊重するということです。
相手を大事にするということです。
何かを言いたい場合は、それからにしましょう。
このような感じで、私のお話をさせて頂きました。
一日たった、今日の朝は、多くの子どもたちが明らかに「挨拶」をがんばってくれていました。
標津小の子どもたちは、本当にすばらしいです。
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